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本当は怖い「冷え」の話

ちぐさ東洋クリニック

院長・医学博士 川越宏文

今、どうして漢方か?
 現在でもなお日本の標準的な治療は西洋医学です。明治維新以来、日本政府は富国強兵作政策の一環として西洋医学を積極的に取り入れました。その結果として国民の平均寿命等が伸び、健康状態が改善されました。一方室町時代後期に本格的に日本に導入された漢方医学は、「西洋医学を修得したものに対して医師国家試験の受験資格を与える」という明治政府の太政官令によって歴史の隅に追いやられました。西洋医学のめざましい発展のために漢方医学は絶滅の危機に追いやられたわけですが、それを救ったのが一部の医師や薬剤師でした。

 

漢方医学の再評価のきっかけ

漢方医学が再び歴史の表舞台に登場したきっかけの一つは、西洋薬の重篤な副作用問題です。西洋医学で用いられる薬剤の原料の多くは石油です。石油を化学合成して天然物にはない化学構造の化け物に作り替え、天然物よりも遙かに高濃度・純度の高いもの製造し、それを人体に投与するわけです。感染症をはじめ多くの疾患の治療で大きな福音がもたらされました。しかし一方、サリドマイド事件のような悲劇が起こされました。睡眠導入剤であった薬剤を妊婦が服用することによって上肢の短い新生児が生まれたのです。また、抗生剤は耐性菌との「いたちごっこ」であり、国民が合成薬に対する不安・不信が増大し、より自然に近い、しかも数千年という歴史を持った漢方薬に対する期待が高まりました。今から30年以上前に伝統医学の中で育まれた薬剤である漢方薬が健康保険で使用可能になりました。その後、徐々に漢方医学は現代医学の中に広がりを見せました。大学病院でも漢方医学を主に行うセクションが数カ所作られました。比較的早期から漢方外来を開始したのは、東京大学・千葉大学、その後、富山医科薬科大学、近畿大学、そして私が所属した東京女子医科大学も今から30年前に設立されました。私は平成6年から12年間、漢方漬けの生活をするとともに日本のトップクラスの西洋医学の先生方と間近でおつきあいすることができました。

 

私の中で漢方事始め

実は大学を卒業してこちらの内科の医局に入局し腎臓内科医をめざしていました。K総合病院で透析の担当医をしていた時、週三回お会いする患者様たちの様々な訴えを毎日耳にします。その一つ一つに何か良い方法は無いか調べていきました。大変苦労したのが空咳です。透析中だけでなく、咳のために眠れないことも。鎮咳剤・うがい薬・その他・・・。ありとあらゆる標準的な正しい(?)治療法を行っても全く反応がありません。その時、偶々「麦門冬湯」という漢方薬が目にとまりました。ダメもとで処方した薬がピタリと効きました。しかし、当時のM大の雰囲気は漢方を許容しないどころが「何か変な薬を処方している」と陰口をたたかれていました。私は本当にやりたい医学に出会いました。そしてどうにかM大を退局し女子医大に移りました。東京での生活は決して楽ではありませんでしたが、私を拾っていただき育てていただいた東京女子医大付属東洋医学研究所の代田文彦教授はじめ各科の教授、スタッフ、日本東洋医学会の仲間には大変感謝しております。

 いくつかの研究テーマ
 東京では、いくつかの研究テーマを持って仕事をしました。1)東洋医学教育の方法論の確立、2)厚労省の慢性疲労症候群研究班での臨床研究、3)冷えに関する定義と診断および治療法確立という基礎から臨床研究が主なテーマでした。1)についてはかなり早い時期に研究開始しPRIORITYは取れました。3)についても25年ほど前から手がけており、現在の「冷え」ブームを作り出しました。